横向きは撮れなかったけどこれが一番まともかも。(3勝1敗です。)
ヤイロチョウ(八色鳥、Fairy Pitta) L:18
15.6.21
野鳥の観察が主ですが、見かける風景・行事・植物・動物なども撮影します。
歌人でもある日禎上人に小倉山の麓の土地を寄進したのは「角倉了以」で「小早川秀秋」らの
大名の寄進により堂塔伽藍が整備された。
落柿舎
松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵で、去来がこの草庵について
書いた「落柿舎ノ記」がある。古い家の周囲には40本の柿の木があって庭の柿を売る契約を
したのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。
元禄4年(1691年)4~5月までここに松尾芭蕉が滞在した。
二尊院
天台宗の寺院。正式名は小倉山二尊院華台寺。二尊院の名は本尊の「発遣の釈迦」、
「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来する。(本堂修復中で本尊の拝観はできません。)
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られ、奥には百人一首ゆかり
の藤原定家が営んだ時雨亭跡がある。
祇王寺
真言宗大覚寺派の仏教寺院(尼寺)。本尊は大日如来。元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した
往生院の跡。平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺
したとしても知られている。
その後往生院は衰退し明治時代の初期に一時廃寺となるが、大覚寺の支配を受け真言宗に
改宗し、富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。苔の庭でも知られる。
庵主の智照尼は瀬戸内寂聴の小説『女徳』のモデルになった人物で1994年(平成6年)に98歳で
亡くなった。
野宮神社
学問、恋愛成就、子宝安産等の祭神。豊鍬入姫命を端とした伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢
に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社です。
天皇が代替わりすると、未婚の皇女の中より新たな斎王が定められ、嵯峨野の清らかな場所に
造営された野宮に入り約一年間潔斎した後に伊勢神宮での神事に臨んだそうです。
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