☆☆たいかな日記☆☆

野鳥の観察が主ですが、見かける風景・行事・植物・動物なども撮影します。

行事・芸術・その他17年9月迄

年賀状。。

今年も届いたデザイナーの友からの年賀状。

2024年賀菅野IMG_20240108_0001

年賀。。

今年もデザイナーの友から送付があった年始の挨拶です。IMG_20230107_0001

友に感謝。。

友人が再度、作ってくれました。2羽並びです。
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前回の作品。
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箏曲演奏会。。

「みずほ会」のミニ演奏会です。身内の勉強会を兼ねた演奏会です。
みなさん、日頃の練習の成果を存分に披露されました。

 17.6.11 於:京都市醍醐交流会館。
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映画。。

 京都府井手町を舞台にした青春映画「神さまの轍(わだち)」の撮影がありました。

 公開は秋。六角精児さん、荒井敦さんや地元町民が出演しています。

 映画のポスターと同じ場所から風景を撮りましたが木が邪魔です。
神様の轍
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平城宮。。

 平城宮で天平祭が行われています。少しだけ、見て来ました。
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城南宮。。

城南宮で催された曲水の宴に行きました。
当日(29日)、催しが始まると突然の雷鳴、風雨で行事は中断。その後、屋内に
場所を替え執り行われました。

城南宮。
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歌人。
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楽人。
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白拍子。
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箏曲。知人が参加しています。
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庭園。
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茶室で慣れない作法を。
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演奏会案内。。

邦楽演奏会の案内です。知人が出演します。

日 時:5月22日(月) 13:30開演 (13:00開場)
場 所:国立文楽劇場

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書籍紹介。。

お世話になった先輩が書籍を発刊しました。
ご一緒に仕事をし 指導いただいた当時が懐かしいです。

オーラルヒストリー企業法務
目次

箏曲演奏会。。

 毎年この時期に開催される恒例の演奏会に友人数名と行きました。
毎回、出演されていた尺八奏者、人間国宝 山本邦山さんが他界してから4年が
経ち  子息が 2代 山本邦山を襲名、関西初披露の会でした。

正派白菊会、箏曲演奏会。@大津、ピアザ淡海。17.4.2
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2代 山本邦山さん。
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幼い子たちの演奏は微笑ましい。
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七福神まいり。。

飲友?七名で初めての七福神まいりです。

JR黄檗駅集合。
南から北まで電車、バス、徒歩で移動しました。終了後はもちろん飲み会です。

参拝した箇所と順路。
黄檗山万福寺 布袋尊➡東寺(教王護国寺) 毘沙門天➡妙円寺 松ケ崎大黒天➡
赤山禅院 福禄寿➡行願寺(革堂) 寿老人➡恵比寿神社 えびす神➡六波羅蜜寺 弁財天
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DSC_0461七福神
集合:JR黄檗駅9時スタート。
DSC_0421黄檗駅
①万福寺
DSC_0424万福寺
布袋尊
DSC_0428布袋尊
②東寺(教王護国寺)  毘沙門天。雨の中、電車で京都駅まで移動&徒歩。
DSC_0441毘沙門天、東寺
③妙円寺 松ケ崎大黒天。地下鉄で松ヶ崎まで移動&徒歩。
DSC_0444松ヶ崎大黒天
④赤山禅院 福禄寿。徒歩で修学院まで移動。
DSC_0450赤山禅院
DSC_0459福禄寿
⑤行願寺(革堂) 寿老人。バスで河原町丸太町まで移動。
DSC_0465革堂
DSC_0478寿老人
⑥恵比寿神社 えびす神。徒歩で移動。
DSC_0485えびす神社、えびす神
⑦六波羅蜜寺 弁財天。徒歩で移動。終了:16時。
DSC_0492六波羅蜜寺、弁財天

日展。。

 改組新第3回日展へ行きました。今回は友人2名が出展しています。
 一人は高校の同窓生で毎年、洋画部門に、後一人は元勤務先の先輩で日本画部門で
 入選されました。  

 ☆日展:日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書。
 ☆場所:京都市美術館
 ☆期間:28.12.10~29.1.15

 Wild rose、小川 尊一 岡山県 (洋画部門、会員)
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 桃太郎伝説で有名な犬島(岡山市)には、銅の精錬所や発電所があった。
銅が付着した黒褐色のカラミ煉瓦が美しい所だ。その中で野バラがひときわ
綺麗に咲いていたという。
 さらにアトリエの庭にある大きな野バラもいつも綺麗な花を咲かせる。
 そこで犬島のカラミ煉瓦と女性モデル、野バラを組み合わせて表現したのが
本作である。
 小川は「今回偶然出会ったモデルは、ファッションセンスとプロポーションが
優れていて良かった」と語る。陰影は引き締まっていて、一種彫刻的ともいえる
韻律を醸し出している。
 葉を落とした野バラのつるにスズメを配した設定が絶妙な陰影の抑揚を付け、
繊細な情緒を感じさせる。鳥のさえずる喧騒が聞こえてくるようなロマンのある
空間で、絵の即興詩といえるだろう。  (6月17日大分合同新聞夕刊より。)


 安らぎ、開田 新三 京都府 (日本画部門)。200号の大作です。
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 花が終わり葉も枯れた藤の後ろに団地ベランダの窓が見えます。
 夕方の落ち着いた静かな冬の風情です。何気ない風景が丁寧に描かれています。
 ・・・・私の感想です。

 会社を退職されてから画に没頭されました。
 素質もあったようですが退職してからめきめき腕を上げられました。

  会場の京都市美術館です。
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蒼遊舎展。。

友人のアート展へ行きました。
毎年、私が撮った鳥写真を素材に使っていただいています。
夕方からは言わずもがな、総勢7名で天神橋筋商店街での飲み会でした。
@Galleryイロリムラ、中崎町、大阪。
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挑戦。。

知人がアタック25に挑戦したけど願い叶わず。出だしは良かったけど女性が強かった。
でも挑戦する勇気は素晴らしい。私には出来ません。

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大安寺です。。

 10月23日(日)に大安寺で国際交流イベントとして、「大安寺国際縁日2016」が
開催されました。
 催しの様子を携帯で撮影しました。

  大安寺は高野山真言宗の仏教寺院で本尊は十一面観音。開基は聖徳太子と伝えられる。
 南都七大寺の1つで奈良時代(平安京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺
  でした。
中門。
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境内。
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屋台。
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コリアダンス。
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中国民族音楽。
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ファイヤーパフォーマンス。
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太鼓。
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空撮。。

  雨続きでくくすぶっていて鳥観察は止まっています。

  今日は元勤務先で頂いた書籍を紹介します。この書籍は会社のPR誌に連載されとものを
 冊子にしたものです。
  
  書 籍 名:空と大地、文・写真:多胡光純
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 筆者は現在、加茂(京都府)在住です。写真は書籍掲載の恭仁京(加茂)近辺。
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多胡光純・・・カメラマン、モーターパラグライダー。1974年、東京生まれ。
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       学生時代に探検部に所属。マッケンジー河、ユーコン河など北米を舞台に活動。
 卒業後も撮影で北米を旅行。2001年のセロン川の旅を機に、02年よりモーター
パラグライダーの修行開始。03年マッケンジー河の空撮行を皮切りに、写真と映像に
よる空撮活動をおこなっている。

 テーマは「旅した大地を空から望む」。
 主な活動に、
 ・「天空の旅人 紅葉列島を飛ぶ」(NHKアーカイブス収蔵)
 ・「九十九島を飛ぶ」(佐世保市)
 ・「麗水万博 日本館展示映像」(経済産業省)
 ・「種差海岸インフォメーションセンター」(環境省)など。

琴の演奏会。。

 友人が出演した演奏会(出演:尺八、琴)へいきました。
 長時間の演奏でしたが尺八、琴、三弦、フルート、二胡、笙、琵琶など様々な楽器
演奏を楽しみました。
 この会は小さな子供さんが多いので将来が楽しみです。
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@主催:優美会。会主:井上雅楽祐さん。

邦楽会案内。。

正派邦楽会の演奏会の案内です。友人が出演します。

1.日 時 :平成28年5月30日(月)午後2時から
2.場 所 :国立文楽劇場 大阪市中央区日本橋1-12-10 地下鉄or近鉄日本橋下車
3.入場料:3,000円

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琴の会。。

友人が尺八と琴の演奏で出演します。近隣へお越しの際、お立ち寄りください。

1. 日 時: 平成28年5月15日(日) 午後12時30分~

2.場 所: 京都市東部文化会館  (地下鉄東西線椥辻駅下車)
        京都市山科区椥辻西浦町1-8   電話075-502-1012

3.入場無料

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再度、写真展案内。。

野鳥写真家 与名正三さんの写真展が近づいてきました。再案内します。
近くに行かれる機会がありましたらお立ち寄りください。

       期日:3月29日(火)~4月3日(日)
    場所:生駒市「美楽来」

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芸術会館 美楽来 は下記を参照ください。
http://www.city.ikoma.lg.jp/0000002392.html

何でもアップ。。

近所で催された落語会です。
チケットをいただきましたが用事があり行けず。
家内が友人と行き、抽選で好楽師匠の色紙をいただいてきました。
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新イベント。。

 奈良県が平城宮跡で1月29日~2月2日まで新たなイベント「大立山(おおたてやま)まつり」を
開催しています。
 四天王をかたどった巨大な人形(大立山)を引いて宮跡内を練るそうです。
モデルは「青森ねぶた祭」で観光客が減る真冬の集客を狙って3万人の来場を見込んでいるとか。
 しかし、奈良とゆかりが薄いねぶたに違和感を持っている人も多いようで、県議会や市民団体など
から巨額の公金投入(2億円)への疑問も上がっているそうです。


 4基の大立山は、マスコットキャラクター「せんとくん」を手掛けた彫刻家の籔内佐斗司さんが、
和歌山県・金剛峯寺の四天王立像をモチーフにデザインして高さは人形が約3.5メートル、山車を
合わせると約7メートルのプラスチック製で内側から光を照らす仕組みのようです。
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写真展。。

少し早い掲載ですが野鳥写真家 与名正三さんの写真展が3月29日~4月3日に生駒市の
「美楽来」で開催されます。近くに行かれる機会がありましたらお立ち寄りください。

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芸術会館 美楽来 は下記を参照ください。
http://www.city.ikoma.lg.jp/0000002392.html


絵画展。。

京都市美術館で開催されている改組新第2回、日展へ行きました。

友人の作品(洋画)です。   小川尊一(日展審査員)岡山県出身。
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京都市美術館。
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飛行船。。

某保険会社の宣伝飛行です。ゆっくり上空を旋回していました。
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新春

昨年は出かける回数も少なくのんびり近隣で過ごすことが多い日が続きました。
本年も同じような行動になると思います。
皆さま、引き続き宜しくお願いします。
年賀

個展/午睡のあと。。

知人の個展へ行きました。
場所は若手の芸術家が利用する画廊(Gallery イロリムラ)です。
彼女は勤めながら作品を仕上げたので忙しかったでしょう。

大きいので壁に沿って曲げて展示している蓮と鳥たちの大作です。アオサギ、ダイサギ。
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ミサゴ。
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トラフズク。
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睡蓮とコサギ。
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アネハヅル。
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モズ。
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小学校で。。

小学校5年生を対象にした環境を考える授業のお手伝いにいきました。
屋外での野鳥観察は強風で鳥が出なくて寂しい授業でした。
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終了後の給食。何十年も前の記憶が蘇りました。
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何でもあり。。

待ち鳥現れず暇です。勝手に指が動きパチリ・・・。航空自衛隊奈良基地の体験搭乗日でした。
                                                                                                                                  @15.11.28
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襲名披露。。

 歌舞伎俳優、四代目中村鴈治郎が南座での「吉例顔見世興行」の襲名披露を前に
 八坂神社で成功祈願祭を行い、長男壱太郎と舞踊「君が代 松竹梅」を奉納しました。
 祇園甲部の芸妓が拍子木を打つ「手打式」で祝いました。

 奉納舞踊(君が代 松竹梅)  @15.11.19
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人力車でお練り。八坂神社~四条通~新京極通~三条通~寺町通~高島屋。
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奉納絵馬。
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ことほいで拍子木を打つ「手打式」・・・祇園甲部の芸奴。
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友人の個展。。

 友人が個展を開催します。機会があれば立ち寄ってあげてください。
個展案内ミサゴ

変わりゆく池。。

シギチの休息地が無くなってきました。
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賑わい前。。

 平城宮跡で「平城京天平祭」 が開催され大極殿前に菊の花で覆われた展示物が設置
されていました。
 朝10時頃、通りましたが人は少なく普段の朝と変わりません。 天平時代を体感できる
イベントが開催される時間にならないと人は集まらないのでしょう。
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宴。。

 毎年、4月29日と11月3日に催される城南宮の曲水の宴へ行きました。
この宴には知人が所属する社中が毎年、琴の演奏で参加しています。
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知人の姪っ子さん。
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元勤務先の方も。
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一区切り。。

 友人が木を拾ってきて作ってくれました。

 昨年の8月の初めから、毎日アップしてきましたが、これからは気の向くまま更新します。
引き続き、訪問お願いいたします。
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ふるさとの偉人。。

  幕末、郷里の岡山に素晴らしい人物がいました。今の時代にこのような指導者がいたら
  日本も変わったでしょう。
 
 「山田方谷」  <出典:ウィキペディア>
山田方谷

  江戸時代。
  山田方谷は備中松山藩領で生まれ、京都で陽明学を学びました。  
  方谷は松山藩の財政の建て直しに貢献し、幕末の混乱期には苦渋の決断により藩を滅亡
 から回避させることに成功しました。明治維新後は多くの招聘をすべて断り、一民間教育者
 として生涯を送りました。

 松山藩の藩政改革

    
方谷は自らが説く「理財論」および「擬対策」を実践して藩政改革を成功させました。
  理財論
は方谷の経済論で漢の時代の董中舒の言葉である「義を明らかにして利を計らず」
 の考え方に基づいています。つまり、綱紀を整え、政令を明らかにするのが義であるが、
 その義をあきらかにせずに利である飢餓を逃れようと事の内に立った改革では成果はあげ
 られない。その場しのぎの飢餓対策を進めるのではなく、事の外に立って義と利の分別をつ
 けていけば、おのずと道は開け飢餓する者はいなくなると言う説です。
    擬態策
は方谷の政治論で天下の士風が衰え、賄賂が公然と行われたり度をこえて贅沢を
 すれば、財政を圧迫する要因になっているのでこれらを改めることと説いています。

  この方針に基づいて方谷は大胆な藩政改革を行いました。

1.
藩財政を内外に公開して、藩の実収入が年間1万9千石
   にしかならないことを明らかにし債務の50年返済延期を
     行った。(改革の成功で数年後には完済した。)
2. 大阪の蔵屋敷
を廃止して領内に蔵を移設し、堂島米会
      所
の動向に左右されずに最も有利な市場で米や特産
  品を売却し、災害や飢饉の際には領民への援助米に
  あてました。
3.   家臣
に質素倹約を命じて上級武士にも下級武士並みの
   生活を送るように命じ、また領民から賄賂や接待を受け
   る事を禁じて発覚した場合には没収しました。
   方谷自身の家計も率先して公開して賄賂を受けていない
     ことを明らかにしました。
4.
多額の発行によって信用を失った藩札を
回収し、公衆
     の面前で焼き捨てました。代わりに新しい藩札を発行し
  て藩に兌換
を義務付けました。これによって藩札の流通
  数が大幅に減少するとともに信用度が増して他国の商人
  や資金も松山藩に流れるようになりました。
5.
領内で取れる砂鉄から備中鍬を生産させ、またタバコ、
  茶、和紙、柚餅子
などの特産品を開発して「撫育局」を
  設置して専売制
を導入しました。他藩の専売制とは逆に
  生産者の利益を重視し、藩は後述の流通上の工夫によ
  って利益が上げるようにしました。
6.
特産品を、中間手数料がかかる大坂を避け、藩所有の
     艦船
で直接江戸へ運び、藩邸の施設内で江戸や関東、
     近辺の
商人に直接販売しました。これによって、中間利
  益を排して高い収益性を確保する一方で、藩士たちに
  航海術を学ばせました。
7.
藩士以外の領民の教育にも力を注ぎ、優秀者には農民
     や町人出身でも藩士へ取立てました。
8. 桑や竹な
どの役に立つ植物
を庭に植えさせ、更に道路
     や河川・港湾などの公共工事を興し、貧しい領民を従事
   させて現金収入を与えました。また、これによって交通
     の安全や農業用水の灌漑も充実されました。
9. 目安箱
を設置して、領民の提案を広く聞きました。
10.  犯罪
取締を強化する一方、寄場を設置して罪人の早期社
      会復帰を助けました。
11.
 下級武士に対して屯田制
を導入し、農地開発と並行し
      て国境等の警備に当たらせました。
12.
 「刀による戦い」に固執する武士に代わって農兵制を
      導入し
若手藩士と農民からの志願者による英国式軍隊を
      整えました。 この軍制は長州藩の奇兵隊等の
模範になり
   ました。

     
方谷は反対意見を受けたもののあくまで藩主・家臣が儲けるための政策ではなく、藩全
       体で利益を共有して藩の主要な構成員たる領民にそれを最大限に還元するための手段
       であるとして、この批判を一顧だにしなかった。(方谷は松山藩の執政の期間には加増を
   辞退し、むしろ自分の財産を減らしている)。
         これによって、松山藩(表高5万石)の収入は20万石に匹敵するといわれるようになり、
       農村においても生活に困窮する者はいなくなったという。
   他藩にはない大規模な藩政改革を行い、後の長州藩等の手本になるものもあり、
   当時としては画期的な政策であった。

    方谷は藩政改革を成功させた後、
池田光政が設立した閑谷学校(日本最古の庶民学校)
   を陽明学を教える閑谷精舎として再興しました。
   ・明治新政府は方谷の財政改革を高く評価して、三島中洲らを通じて出仕を求めたが、
         領民達を救うためとはいえ、心ならずも主君を隠居に追い込んで勝手に降伏した
   (注:参照)方谷に再仕官をする考えはなく、弟子の育成に生涯を捧げました。
   ・方谷の教えは三島中州の「義利合一論」へと発展して、渋沢栄一らに影響を与えることに
         なった。他人を小人呼ばわりした三島中州に「世に小人無し。一切衆生みな愛すべし。」
         と戒めたと言われています。
   ・安岡正篤は、この人のことを知れば知るほど文字通り心酔を覚えると評価しています。
   ・学舎の隣家に住む一藩士が病没し、その妻が方谷宅の門を叩き父を亡くした7歳の
    娘に母子家庭の娘と侮られぬよう、学問を教えて欲しいと願うと引き受けて男女の
    別を気にする事無く、その才気ある娘を学舎に通わせ自ら教えました。
    その娘は後に高梁で女子教育の普及を広めた福西志計子です。

 年表

      ・1805年(文化2年4) 備中松山藩領西方村で生まれる。
  ・1809年(文化6年) 5歳 新見藩の丸山松隠(儒家)塾で朱子学を学ぶ。
  ・1825年(文化8年) 21歳 名声が広まり藩主・板倉勝職から奨学金 (二人扶持)
                       いただく。
  ・1827年(文政10年)23歳 第1回京都遊学で寺島白鹿に学ぶ。
  ・1829年(文政12年)25歳 第2回京都遊学で寺島白鹿に学ぶ。遊学から戻り、
                                  主から苗字帯刀を許される。藩校・有終館会頭(教授)に
                                    抜擢される。
  ・1831年(天保2年) 27歳 第3回目の京都遊学で寺島白鹿に再度、学ぶ。
             このとき、陽明学に出会う。
  ・1834年(天保5年)  30歳 江戸遊学(1月から2年半)で佐藤一斉の門下に入る。
                       このとき、佐久間象山と出会う。
  ・1836年(天保7年)  32歳 有終館に戻り指導する。「理財論」「擬対策」を書く。
  ・1838年(天保9年)  34歳 家塾「牛麓舎」を開校する。
  ・1844年(弘化元年) 40歳 世子の板倉勝静に入封する。
  ・1847年(弘化4年)  43歳 津山藩洋式砲術役・天野直人に砲術を学ぶ。
              更に庭瀬藩火砲指南役・渡辺信義に火砲術を学ぶ。
  ・1849年(嘉永2年) 45歳 松山藩の元締役 兼 吟味役元締を命ぜられ、藩政改革に
                          取り組む。
  ・1851年(嘉永4年)  47歳  農兵制」(農民による洋式銃隊)を創設。
  ・1852年(嘉永5年)  48歳 郡奉行に任命される。
  ・1854年(安政元年) 50歳 元締 兼 藩執政となる。
  ・1856年(安政3年)  52歳 年寄役助勤、郡奉行も引き続き兼務となる。
     ・1857年(安政4年) 53歳 松山藩の元締を辞任。この年、板倉勝静、幕府の寺社奉行
                       となる。
  ・1860年(万延元年) 56歳 再び藩元締に再任される。
  ・1861年(文久元年 )57歳
               ☆2月、江戸で藩主の顧問となる。
               ☆4月、顧問を辞任し帰国。
               ☆5月、元締役辞任。
  ・1862年(文久2年) 58歳 板倉勝静、老中となる。方谷は再び勝静の幕政顧問となるが、
                         程なく辞任する。
  ・1863年(文久3年)  59歳 板倉勝静、上京。4月、京都における勝静の顧問に再任され
                         るが即、辞任。
  ・1864年(元治元年) 60歳 板倉勝静、長州征伐に出陣、留守を守る。
  ・1868年(明治元年) 64歳  大政奉還ののち戊辰戦争がおこり、備中松山征討軍に
               無血開城。
  ・1869年(明治2年) 65歳 長瀬の塾舎を増築し子弟教育につとめる。
  ・1870年(明治3年) 66歳 刑部に住居を移転。引き続き弟子教育につとめる。
  ・1871年(明治4年) 67歳 再興された閑谷学校(閑谷精舎)で、陽明学の講義をする。 
  ・1877年(明治10年) 73歳 で死去。

  主な門人:川井継之助、三島中洲(二松学舎創設者)、川田剛、鎌田平山、進鴻渓、
         服部犀渓、林抑斎、三浦仏厳、岡本展岳、福西志計子。

  (注) 藩主・板倉勝静は白河藩主松平定信の実の孫で徳川吉宗の玄孫にあたる。
     そのため、幕府に対する忠誠心が高く勝静自身も老中として幕府の要職を
     務めた。
      しかし、幕府の重職を担うことは藩財政の逼迫を招くため、方谷は勝静の幕政
     参加に反対していた。
      大政奉還、鳥羽伏見の戦いで、老中として大坂城で将軍徳川慶喜の元にいた
     勝静は幕府側に就いて官軍と戦うこととなった(戊辰戦争)。これに対して朝廷は
     周辺の大名に松山藩を朝敵として討伐するよう命じた。
      突然の出来事に対して松山の人々は動揺した。方谷は、主君勝静に従って
     官軍と戦うよりも松山の領民を救うことを決断し、勝静を隠居させて新しい藩主
     を立てることと、松山城の開城を朝廷に伝えた。

新聞記事。。

 野鳥の会奈良支部の上山さんを中心にしたメンバーが1年間、平城宮で野鳥調査を行った
記録が新聞に掲載されていたので紹介します。

 (以下、毎日新聞、2017.9.27付け)

         平城宮跡:コアジサシなど希少種飛来 国に配慮要望

   国特別史跡で世界遺産の平城宮跡(奈良市)を日本野鳥の会奈良支部が初めて調査
  したところ、環境省レッドリストで絶滅危惧2類に指定されているコアジサシなど希少種を
  含む野鳥50種以上の飛来が確認された。
  平城宮跡は国営歴史公園として整備する工事が進められているが、市街地に残る広大な
  緑地が野鳥の楽園と分かり、同支部は生態系などへの配慮を国側に求めている。

  平城宮跡では文化庁が2010年、平城遷都1300年祭に合わせて第1次大極殿を建設した。
  国土交通省も大極殿前に広場を造るなど、約132ヘクタールを公園区域として開発している。
  今後、第1次大極殿の周囲に回廊や南門を復元整備するほか、既にある朱雀門の南東には
 展示館を作る計画だ。

  元は田畑が広がっていた平城宮跡には、草に覆われた広大な緑地が残り、多くの野鳥が
  生息している。
  公園化事業で環境が変化する恐れがあることから、同支部は昨年7月から今年6月にかけ
  調査した。
  会員約20人が毎月1回、午前9時〜正午の3時間、目視や鳴き声で鳥の種類や飛来数を
  計測する方法で、52種延べ3960羽を確認した。

  カモメ科のコアジサシは、宮跡の南西側で10羽が営巣していることが判明。環境省レッド
  リストで準絶滅危惧種とされるヒクイナ3羽を東端と西端で見つけた。このほか、県レッドデータ
  ブックで絶滅危惧種とされるクイナやコミミズクも1羽ずつ確認した。

  同支部幹事の上山義之さん(74)は「これほど多様な野鳥がいるとは思わなかった。農薬
  などの影響で周辺の農地で餌が捕りにくくなり、平城宮跡が相対的に生息しやすい環境になっ
 ているのだろう」と話す。

  同支部は8月に調査結果を国交省国営飛鳥歴史公園事務所平城分室に提出し、整備に伴う
 草刈りの時期など野鳥への配慮を要望。同分室は「野鳥の会からの意見も踏まえて適切に除草
 したい」としている。 【伊澤拓也】


池が無くなる。。

                 とりとめもなく愚痴ります。


 どこへ行っても大陽光発電のソーラーパネルが目につきます。規模の差はあるけれど
異常なほど多くのパネルが乱立していて今や取り返しのつかない自然破壊が進行して
いるのではないでしょうか?
 一度、切り倒した森林は再生までに時間がかかり荒れた山肌は元には戻りません。
おそらく数年後に使用が終わった設備は撤去されず放置されるものもあるでしょう。設置する
時は撤去に多額の費用が発生することは計算せずエネルギー政策に名をかり、一部の事業
者が潤う構図のような気がします。・・・そのうち、日本中がパネルだらけ・・・・。
 再生エネルギー振興策は、東日本大震災と福島原発事故の混乱の中で決まった優遇策です。
原発の代替策としてその拡大を推奨したので環境破壊は無視されたのだと思います。
 いずれ耕作を放棄した遊休地や野池はパネルで覆われるでしょう。


 実はこんなことを書いたのはいつも野鳥を観察し楽しんでいた池が急でソーラー工事が始まっ
たからです。
 池は民有地なので仕方無いかも知れませんが毎年、セイタカシギが繁殖していてこの時期は
アオアシシギ、ツルシギ等のシギチドリが観察できました。
 先日、友人がヘラサギが飛んできたので観察していたら池にユンボは入ってきたそうです。
 毎日、池で観察していた人も工事が実施されることを知らずビックリです。
 行政の認可もおりていて止めるのは難しい状況です。あたり一面がパネル畑になり渡り鳥達
の安息地も無くなります。悲しいことです。地元の人が何とかならないかと立ち上がっていますが
状況は難しいようです。 (三重の曽原大池<通称ボラ池>の出来事です。)

 このやるせない気持ちをぶつけるところがないのでブログで愚痴をこぼしました。

 Nさん撮影。
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涼をとりに。。

   小学校6年生の孫が見たい映画があると言うので映画館へ。
 映画館へは滅多に行かないので前回、いつ行ったか調べるとThe Big Year('12.7)が
最後でした。
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始まりました。

祇園祭の季節です。鉾立が始まりました。茹だる様な暑い季節の始まりです。
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琴の会。。

元勤務先のみんさんが出演する琴の演奏が「おさらい会」と称して催されました。小さな会場で
少し狭かったけど家族的雰囲気のなか、琴、尺八の演奏、踊りなどを楽しみました。
(@15.5.31:於:山科、勧修寺堂田)
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磐之媛御陵。。

いつも行く御陵です。今日(6月1日)は仁徳天皇の皇后、磐之姫命の命日で関係者の方による
命日の儀式が行われていました。
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磐之媛命(いわのひめのみこと) は仁徳天皇の皇后で仁徳35年(西暦347年)6月に亡くなり
ました。とても嫉妬深く、仁徳30年(342年)に彼女が熊野に遊びに出た隙に夫が八田皇女
(磐之媛命崩御後、仁徳天皇の皇后)を宮中に入れたことに激怒し、難波宮から山城筒城宮に
移り住んだそうです。
墳墓は全長219メートルの前方後円墳で周囲は水をたたえた濠がめぐり、この時期、燕子花や
睡蓮、河骨が美しい花を咲かせています。

絵画展。。

友人の絵画展へ行きました。板、器に描かれた作品はどれも立派でした。
その一部に私が撮った鳥写真をモデルにした作品がありました。
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再度、アート展。。

 11月2日(日)~15日(土)に近隣の公園等(26箇所)で作家によるアート展が開催されます。
 Stamp ラリーがあります。
 10個集めると記念バッチ1個、全部(19個)集めるとバッチ2個プレゼント。。。

木津川アート2014

  展示作業中で未完成ですが作品の一部を紹介します。

  精華大学の学生さんの水瓶作品です。指導されている宮永先生は展示にかなりこだわり
荒れた池の掃除を数日掛け実施されました。水瓶にカワセミが止まります。(大里公園)
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   宮永先生が指導された楢木野さんの作品です。(土師山公園)
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  かなり重いので持ち運びや倒れないよう支柱を地面に打ち込むのが大変そうでした。
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  京都教育大学卒の梅原さんの作品です。作品の一部を焼き上げるのに近所の公園に
窯を据え数日、寝泊まりして仕上げました。(二条丸八)
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 土師山公園に展示している木の造形。向山さんの作品です。
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 中島さんの作品です。(土師山公園)
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  千葉県から来られた中村さんの作品。かなり大きな作品ですが軽自動車に積み込んで
持参し数日掛け組み立てたとか。
  江戸時代に木津川を行き来していた船をイメージしたそうです。(きんでん)
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 大津市在住の井上さんの作品です。お孫さんが木津川市で生まれた縁で出品されたとか。
 木の作品にように見えるけど全て紙で制作しています。(相楽神社)
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 千葉県から来られた小山さんの作品です。木津川の流れをイメージしているそうです。
(兜台公園)
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大阪の小杉さんの作品です。夜、見るとギョッとするかも。 (線路沿遊歩道、大里会館分館付近)
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モノレール計画。。

奈良、若草山にモノレールを走らせる計画があり、これに反対する会(若草山へのモノレール
建設に反対する会)が立ち上がり署名活動を始めています。
下記を参照ください。

 「若草山へのモノレール建設に反対する会」HP: http://wakakusayama.jugem.jp/  

野鳥の会奈良支部もこの署名活動に協力することになりました。
署名用紙は上記のホームページにあります。賛同いただける方はご協力ください。

以下、朝日新聞24.1.25抜粋。

 山焼きで知られる若草山にモノレールを走らせる構想がある。減り続ける観光客に足を向けて
もらう狙いで、地元商店主らは歓迎。だが一帯は世界遺産に指定されており、ユネスコの諮問
機関「イコモス」の国内組織が強い懸念を表明する異例の事態になっている。

 若草山は夜景の名所でもある。ただ、東大寺大仏殿などを眼下に眺められる中腹の「一重目」
へは、高低差約100メートルの急な石段を登らなければならない。
 年間の入山者数は約12万人(2012年)と、ピークだった30年前の4分の1に減少。県は巻き
返し策として、斜面用の小型モノレール導入を検討している。

 計画案では、山焼きに影響がない南側の春日山原始林との境界付近を通る登山道沿いにレー
ルを通し、6人乗りの車両を2両連結。ふもとから一重目までの約550メートルを約20分で登る。

 若草山では1922年にケーブルカーを設置する計画が持ち上がったが、自然保護を理由に頓挫。
その後トンネルを掘ってエスカレーターを通す計画もあったが、実現しなかった。商店主らで作る
奈良若草山観光振興会の清水宗和会長(63)は「地元の悲願。移動手段があるだけで集客効果
は大きく、夜景も楽しんでもらえる」と期待する。

 奈良県の新井知事も「いい場所の観光をしやすくするのは観光政策の基本」と話し、昨年末の
県議会ではユネスコの世界遺産委員会報告も必要ないとの見方を示した。

 これに異を唱えたのが世界遺産候補を調査する文化財保存の専門家集団「国際記念物遺跡
会議(イコモス)」の国内組織、日本イコモス国内委員会だ。

 「世界遺産として設定された地区の保護を軽視しており、文化遺産を破壊することに等しい」とする
文書を県に送付。国内は例がないが、世界遺産からの抹消が議論される危機遺産リストに登録され
る恐れもあるとして、矢野和之事務局長は「県は真摯(しんし)に受け止めて欲しい」と話す。

 
 学識経験者らは計画に反対する会を立ち上げ反対署名運動を始めている。

宴。。

城南宮の曲水の宴を観に行きました。今年(11月3日)は生憎の雨で催しは中止になり簡略化
された宴の一部が披露されました。
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白拍子の舞。
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歌人は7名。
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水干(すいかん)姿の童子。
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琴の演奏・・・毎年、知人も数名参加しています。
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曲水の宴とは・・・
木漏れ日もやわらかな平安の庭を、ゆるやかに曲がりながら流れる一筋の遣水(やりみず)。
色とりどりの狩衣(かりぎぬ)や小袿(こうちき)といった平安時代の貴族の装束に身を
包んだ7名の歌人が遣水の傍らの座に着くと、川上に控えた水干(すいかん)姿の童子が
朱塗りの盃にお神酒を注ぎ、羽觴(うしょう、おしどりの姿を象った盃台)の背に載せて
流します。
琴の音が響く中、歌人はその日の題にちなんで和歌を詠み、短冊にしたためます。
そして、目の前に流れ来る羽觴を取り上げ、盃のお酒をいただくのです。
宴の間には白拍子の舞も静々と披露され、ゆったりと時間が流れる王朝の雅を
今に再現しています。

祭り。。

郷里で毎年、10月に行われる伝統行事です。今年は雨で中止になりました。

県指定重要無形民俗文化財で、寄宮祭として950年の伝統を誇る県下三大祭りのひとつです。
町内8箇所の神社から、樹齢500年を越えると言われる杉や桧の森に覆われた加茂市場の
総社宮に神輿や太鼓の行列が集い、古式ゆかしい神事が繰り広げられます。
この日は町内に笛や太鼓が鳴り響き、お祭りムード一色となります。
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榊の葉を丁寧に挿した神輿。
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加茂大祭
YouTubeより

舗道工事。。

みなさん、どう思いますか?(賛否両論はあるでしょうが。)
9月20日に大極殿前の舗道工事が発表され25日から即工事開始、来年3月に完了します。
大極殿へ行くのに不便と言うことですが広すぎる工事です。
意味不明の工事をなぜ性急にするのでしょう?
文化財への影響もさることながら近隣の鳥たちへも影響もあるでしょう。
そのうち、黙ってツバメの塒場所、アリスイ畑も埋めちゃうのでは?
反対運動が始まっているけど・・・・。

下記を参照ください。


http://narapress.jp/hjk/








送り火。。

8/16(晴れ)
夕方から京都五山の送り火へ。出町は大勢の人、人、人。
人の合間からの大文字&船形です。
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通りすがりに。。

8/9(晴れ)
燈花会。
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