思いだせず気になっていましたが、再度、ドラマを確認したら備中松山城(岡山)でした。
真田とは縁のない備中松山城ですが、標高430mという高いところに天守があり、険しい
岩山(臥牛山)の上に残る城郭が山深い真田氏の居城のイメージに近かったのでロケ地に
選ばれたようです。(映像はCGを使って少し合成されています。)
余談ですが、このお城の麓に私が学んだ高梁高校があります。

水流は合成です。

主に野鳥の観察が中心ですが最近は何でもあり。風景、行事、植物、動物他、気が向けば撮影します。
紅葉を探しに元勤務先近くの寺院を散策しましたがまだ緑が残っています。
週末の連休は人の洪水で歩けないほど賑わうのに・・・・・。
東福寺。臨済宗東福寺派大本山。
通天橋(臥雲橋からみた風景)
東福寺塔頭、栗棘院
泉涌寺(皇室の菩提所)。
寺の一角から清水が涌き出て仙遊寺から泉涌寺と改められました。
この泉は今も涌き続けています。
悲田院(泉涌寺山内)
聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として造られた
のが悲田院の始まりといわれる。
即成院。(泉涌寺山内)
境内には屋島の合戦で知られる源義経の臣・那須与一の墓がある。
来迎院(泉涌寺山内)
境内一角に赤穂義士・大石義雄建立の茶室「含翠軒(がんすいけん)」がある。
今熊野観音寺(泉涌寺山内)。西国三十三所十五番札所。
智積院。真言宗智山派の総本山。
成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、東京都の高幡山金剛寺、
名古屋市の大須観音寶生院を別格本山として全国に3000余りの寺院教会を擁し、総本山
智積院は全国約30万人にのぼる檀信徒の信仰のよりどころとして総菩提所、総祈願所と
位置付けられています。
1240年、秋葉三郎重信が最初の城を築きその後、1331年頃、高橋宗康が小松山まで
城を拡張した。
城主は時代と共に変換し、戦国時代に大松山・小松山を範囲とする一大城塞となりました。
1642年(寛永19年)に水谷勝隆が5万石で入封。2代勝宗が天守建造などの修築を行い、
城は現在の姿となりました。しかし、3代勝美は嗣子がなく1693年(元禄6年)10月に死去。
その養子となった勝晴はわずか1か月後の同年11月に13歳で早世し水谷家は断絶しました。
水谷家断絶後は赤穂藩士(浅野長矩)が城を受取り家老大石良雄が城番となりました。
1744年(延享元年)板倉勝澄が5万石で入封し、明治時代まで板倉氏が8代続きました。
(説明はネットを参照しました。)
歌人でもある日禎上人に小倉山の麓の土地を寄進したのは「角倉了以」で「小早川秀秋」らの
大名の寄進により堂塔伽藍が整備された。
落柿舎
松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵で、去来がこの草庵について
書いた「落柿舎ノ記」がある。古い家の周囲には40本の柿の木があって庭の柿を売る契約を
したのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。
元禄4年(1691年)4~5月までここに松尾芭蕉が滞在した。
二尊院
天台宗の寺院。正式名は小倉山二尊院華台寺。二尊院の名は本尊の「発遣の釈迦」、
「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来する。(本堂修復中で本尊の拝観はできません。)
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られ、奥には百人一首ゆかり
の藤原定家が営んだ時雨亭跡がある。
祇王寺
真言宗大覚寺派の仏教寺院(尼寺)。本尊は大日如来。元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した
往生院の跡。平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺
したとしても知られている。
その後往生院は衰退し明治時代の初期に一時廃寺となるが、大覚寺の支配を受け真言宗に
改宗し、富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。苔の庭でも知られる。
庵主の智照尼は瀬戸内寂聴の小説『女徳』のモデルになった人物で1994年(平成6年)に98歳で
亡くなった。
野宮神社
学問、恋愛成就、子宝安産等の祭神。豊鍬入姫命を端とした伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢
に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社です。
天皇が代替わりすると、未婚の皇女の中より新たな斎王が定められ、嵯峨野の清らかな場所に
造営された野宮に入り約一年間潔斎した後に伊勢神宮での神事に臨んだそうです。
茹だるような暑さが続きます。今からこの調子だと先が思い遣られます。山へ行きたいけど思う
ように動けないこの頃です。
少しは涼風が届けばと思い山の声をお届けします。
山梨昇仙峡。友人から届きました。涼しいところへ行きたくなります。
2月7日~10日
鳥見なし旅行に徹しようとカメラを持たず極寒の隣国へ(寒波襲来で-21℃の朝も)。
以下、孫たちの撮影画像です。行動の記録ゆえ、沢山掲載しました。ご容赦。
宿泊先の楽古斎(ラッコジュ)・・築130年の韓国風家屋。小さな宿で数組しか宿泊できません。
興味はないけど韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」の舞台になったとか。
宿舎。
オンドル(床暖)の暖かい部屋。
オンドル&サウナの熱源。
部屋の鍵。
民族衣装も・・・・私も着たけど???・・・・。
男性衣装。
夕食(蔘鶏湯)・・・宿泊先。
朝食(アワビ粥)・・・宿泊先。
昌徳宮(1405年創建、朝鮮王朝第二の王宮)の正門「敦化門」。
仁政殿の入口「仁政門」、奥が仁政殿。
昌徳宮の正殿で王の即位式、外国使臣の接見など重要な国家儀式を行った場所。
景福宮(1395年創建、朝鮮王朝第一の王宮)の正門「光化門」。
守門将交代儀式。
想像動物ヘッテ像(正しくないことをした人に飛びかかり角で刺し突くと言う霊物)
民族博物館。
ソウル市内。
ソウルタワー。
ソウル駅。
地下鉄設置の防毒マスク。
旧正月の行事。
ロッテワールド。
非武装地帯(Demilitarized Zone)
今回の目的の一つは板門店へ行くことでした。非武装地帯近くへの立入りは許可が必要で
パスポート持参が条件です。
軍事分界線から東西241㎞、幅4㎞の非武装地帯は50年以上も人が入ってないので野鳥の
宝庫になっています。珍しい鷲が上空を沢山飛んでいました。
鉄条網越しにみる北朝鮮。
北朝鮮が南侵目的で掘った地下トンネルも歩きました。
1978年に発見されたトンネル入口。地表から73mの地下に長さ1,635メートルのトンネルが
あります。1時間に1個師団の武装兵の侵入が可能とか。
朝鮮動乱の時、被弾した機関車。
都羅山駅(Dorasan Station)から北朝鮮方面を望む。
2002年4月に出来た北朝鮮へ通じる駅。 線路は連結されているが封鎖されていてここから
先へは行けません。
(ソウルから56㎞、平壌まで205㎞の地点。一番近い北朝鮮の開城駅まで17㎞)
非武装地帯の食堂。
美味しかったプルゴギ。
ソウル市内での食事。
機内食。
夜食(コンビニ)。
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