風景17年10月迄
7年前まで勤務していた会社の創立記念パーティに招待されました。
懐かしいメンバーと旧交を温めましたが残念ながらパーティ会場の賑やかな写真は
撮れなかったです。
久しぶりの訪問なので記録としてブログに載せました。@'17.10.27
東京駅高速バス乗り場(東京→鹿島セントラルホテル)
バス乗り場は西の端から東の端へ変わっていました。即ち、9番乗り場から1番乗り場
(日本橋口近く)へ移動。行ったことがある方はわかるかも。


鹿島セントラルホテル。(パーティ会場、東京駅から1時間半)


ホテルから。

鹿島セントラルホテル前の道路。

借りていたアパート。ホテル前の道路沿いにあり便利でした。

パーティ会場。

秋篠寺。奈良時代の法相宗の僧・善珠が創建した天皇家とも関連の深い寺院。




秋篠寺の鎮守。祭神:御霊八柱 (崇道天皇、 伊豫親王、藤原吉子、橘逸勢、
文屋宮田麻呂、藤原広嗣、吉備大臣、火雷神)。
西大寺。真言律宗総本山の寺院。奈良時代に孝謙天皇の発願により、僧・常謄が開山。
南都七大時の1つ。山号は勝宝山。現在の本尊は釈迦如来。
毎年1月16日に大茶盛式が催される。
復元された平城京・大極殿。
法華寺。光明皇后ゆかりの門跡尼寺(総国分尼寺)。
海龍王寺(眞言律宗)。法華寺と海龍王寺のある一画は 藤原不比等の邸宅跡。
本堂に十一面観音菩薩立像(重文)がある。
不退寺(寺号:不退転法輪寺、眞言律宗)。在原業平が聖観音像を刻んで当寺を開いた
のが始まり。別名「業平寺」。
磐之姫命陵。 仁徳天皇の皇妃。
佐紀神社。平城京の北にある神社。
成務天皇陵。
神功皇后陵。
途中、少しだけ観光をしました。
朽木新本陣@滋賀/高島、京都&滋賀から ここへ集合。

若狭鯖街道、熊川宿@福井。
小浜城主浅野長政が整備した近江と若狭を結ぶ若狭街道(鯖街道)随一の宿場町で
古い町並みが残っている。


若狭国一宮(若狭姫神社)祭神は豊玉姫命(乙姫)、海上安全、海幸大漁の守護神。
奈良時代初期 養老5年(721)に創建。 上社と下社があり上社は「若狭彦神社」
下社は「若狭姫神社」。

神宮寺本堂、山号霊応山。天台宗。
若狭一宮の神願寺として和銅7年(714)に元正天皇の勅命により創建、鎌倉時代に
若狭彦神社の別当寺神宮寺に改名。神仏習合の寺院で、参拝者は柏手を打つ珍しい
寺院です。奈良 東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事で有名。

茶室。

閼伽井戸(あかいど)。お水送りの井戸。
3月12日に奈良 東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて3月2日に行われる
「お水送り」はここの水を上流2kmの鵜之瀬に流すと10日間で東大寺の若狭井に到達
すると言われている。

若狭~京都~奈良~熊野レイライン。
計算されて造営されたのかそれとも偶然の結果なのか若狭~平安京~平城京~飛鳥宮~
大峯・熊野までが線上にある。

常神漁港の水揚げ風景。

小浜お魚センター。

観光シーズンの端境期なのか参拝客はほとんどおりませぬ。静かな山は結構きつく
登るのはこれが最後になるかも知れません。(笑)
高雄山神護寺・・・真言宗寺院。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂。



高台からの遠望。(かわら投げ・・・3枚、200円)

栂ノ尾高山寺・・・創建は建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇より寺域を賜り再興した。
鳥獣戯画が有名です。


枚岡八幡宮・・・平安初期大同4年(809年)に神護寺の守護神として弘法大師によって建てら
れた。44種類の花が描かれた花天井、樹齢300年を超える紅椿、白椿伝説の樹齢200年の
白椿などがある。


どうしても鳥に目が移りまする。(笑)・・・清滝川にて。
カワガラス(河烏、Brown Dipper)L:22

毎日、日課として登っている人、時折、風景を眺めに来る人はいるけど
人は少なく静かな山です。

5時前に東福寺迄戻り、新年会に臨みました。
那須与一の石塔がある泉涌寺塔頭、即成院。

文殊菩薩様の札所。泉涌寺塔頭 戒光寺。

聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として造った悲田院。

皇室の御寺泉涌寺。


観世音菩薩が本尊の善能寺。雪が残っていました。

来迎院。弘法大師ゆかりの独鈷水がある。
境内一角に赤穂義士・大石義雄建立の茶室「含翠軒(がんすいけん)」あり。
紅葉の綺麗なスポット。


今熊野観音寺。泉涌寺派寺院。十一面観音が有名。


澤正。蕎麦懐石が有名。時々、行きました。

真言宗智山派総本山。 智積院。ここで時間切れ。寺院の門も閉まりました。

万座毛。
万座毛(まんざもう、Cape Manza)は、恩納村にある景勝地です。東シナ海に面した
海岸の絶壁に象の鼻の形の岩があります。
万座毛の由来は琉球王朝時代の王、尚敬王が、「一万人が座れる広い原っぱ」と評し
たことに由来しています。(毛・・・原っぱ)

琉球村。
開村して30周年になる観光テーマパークです。沖縄の文化体験が楽しめます。
沖縄民謡を披露していたけど、歌っている人が「日本人はいますか?」 と遠慮がちに
声をかけていました。
ほとんどの観光客が東南アジアの方でやり難そう・・・。


残波岬。
沖縄本島読谷村の北端に突き出た岬で高さ30mの絶壁が2kmに渡って続いています。
紺碧の海と断崖に打ちつける白波のコントラスト、東シナ海に沈む夕日が美しい景勝地
です。

首里城。
首里城は海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)で
沖縄県内最大規模の城です。
戦前は正殿などが国宝に指定されていましたが沖縄戦で破壊され、わずかに城壁や
建物の基礎などの一部が残りました。その後、建物は復元されました。
守礼門。

首里城正殿。

歓会門。

城塞。

首里城からの一望。

平和祈念公園。
沖縄戦跡国定公園の広さは81.3km²あり戦跡としては唯一の国定公園です。
1965年に琉球政府立公園に指定され、1972年の本土復帰に伴い、国定公園
に指定されました。
平和記念像。
平和の丘。
平和祈念公園からの遠望。
ひめゆりの塔。
沖縄戦時に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑。
慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊に
ちなんでいます。
天空の山城として話題となっている「天守の残る唯一の山城」、備中松山城が
本日、7/8(金) NHK総合「歴史秘話ヒストリア」で放映されます。
◆番組名 歴史秘話ヒストリア「そうだ!天空の城に行こう」
◆放送日 平成28年7月8日(金)20:00~20:45
◆番組HP http://www4.nhk.or.jp/historia/ 7/8(金)
天空の山城として近年話題となっている「天守の残る唯一の山城」です。
是非、ご覧ください。
◆番組名 歴史秘話ヒストリア「そうだ!天空の城に行こう」
◆放送日 平成28年7月8日(金)20:00~20:45
◆番組HP http://www4.nhk.or.jp/historia/ 7/8(金)
御誕生寺参拝を終えたら、丁度、昼時で食事をとりに武生駅前へ寄りました。
旧武生市は現在、越前市に市名が変わりました。北が越前町、南が南越前町で
紛らわしく、武生市のままで良かったのではと市名変更について住民の反対意見が
多かったのに越前市に決まったそうです。
市内に立派な総社大神宮がありました。総社は国府所在地に置かれた神社です。
当時、武生の町は繁栄したのでしょう。


「いわさきちひろ」が生まれた家です。
ちひろの母、文江は奈良女子高等学校を卒業し、開設されたばかりの武生実科
高等女学校の教師として武生に赴任し、ちひろはそこで生まれたそうです。

越前へ来たらやはり蕎麦でしょう。美味しい蕎麦をいただきました。於:御清水庵。

参拝のきっかけは住職の著書「あたりまえでいい」を読んでどんなお寺か見たいということからです。
この寺は数年前に建てられ落慶法要が終わったばかりの新しいお寺で檀家は1軒もなく全て寄進によって創建され、約30名のお坊さん、猫数十匹がいる静かなお寺です。
短期間に立派なお寺が出来たのは禅師の徳によるものでしょう。
本堂建設中に捨てられた猫を保護したら、いつの間にか捨て猫が増え、猫寺と呼ばれるようにもなったようで今では猫好きの人が遠方から来られています。
2002年小堂、2009年に本堂が出来ました。



全て寄進によるものです。

猫いっぱいです。




☆誕生寺 板橋興宗((こうしゅう)住職の略歴
1927年、宮城県産まれ。海軍兵学校、東北大学を出て1953年禅門に入り修行。
福井武生市・瑞洞院住職、金沢市・大乗寺住職などを歴任。
1998年、横浜市・大本山總持寺貫首、曹洞宗管長に就任。
2002年、貫首、管長の公職を辞し輪島市・總持寺祖院住職を経て現、御誕生寺住職。
☆住職は20年ほど前に癌を患い今は肋骨に転移していて3週間に一度点滴を打っている
そうです。
☆禅師の今は「ありのままに生きる」ことで、ありのままに何もしないで暮らすのではなく、
何もない土地に新しく寺を建て、 病気の治療をしながら、その日のなすべき仕事を
片付ける。そういうありのままの生き方を実践されています。
著書:
・『良寛さんと道元禅師』
・『「心豊かに」生きる知恵
・『人生は河の流れのごとく』
・『興宗和尚の人世問答』
・『タンポポや人に踏まれて笑い顔』
・『むだを堂々とやる!-禅の極意』
・『〈いのち〉をほほ笑む』
・『混沌に息づく』
・『坐りませんか。』
・『猫は悩まない』
・『いのち〉の呼吸』
・『ありがとさん』
・『息身佛 そくしんぶつ ただ、息をする。ただ、生きる。』
・『柔らかな心で』
・『猫のように生きる』
・『足の裏で歩む - 板橋興宗米寿記念随想』
・『あたりまえでいい』
MJ609。
早々と矢車草は刈られていました。
仕方なくブラブラしていると偶然、常光寺へ行く友人に会い、ご一緒させていただきました。
この日は丁度、年に一度の歓喜天特別開扉の日でした。
常光寺は延宝元年(1673年)に奈良、押熊に建てられた小さなお寺で、明治時代の廃仏毀釈の折りに廃寺となり、多くの建造物や寺宝が散逸してしまったそうです。(元は宝山寺奥の院で真言律宗のお寺です。)
☆国宝・叡尊興正菩薩直筆「隋求法」1巻⇒生駒・宝山寺寺宝、梵鐘⇒法華寺鐘楼、古仏書⇒薬師寺へ。

本尊「大聖不動明王三尊像」宝山湛海作。

「歓喜双身天尊像及厨子」、「鬼子母神像」宝山湛海作。
特別開扉の歓喜天像は残念ながら写真を撮ることは出来ませんが頭部が「象(ガネーシャ)」、男性神と女性神が抱き合った姿の仏様で素朴な美しさがあります。

当寺の歓喜双身天尊像とは違いますが参考にしてください。

弘法大師像。

高校時代を過ごした備中高梁の紹介です。
こんな風景&歌があります。



名称は「平城宮歴史公園資材保管庫・加工場等新築工事」。
立派な建物(費用4.4億円)ですが南西から大極殿を見ると建物が邪魔で景観は
台無しです。
仮設のようですが数年はこの状態が続きます。他にも場所はあると思いますがセンスの
無い工事です。
・聞いた話では現在ある回廊を作り直すそうです。現在の回廊は5年ほど前に設計費を
含め3億円ほどかかった筈です。
・新回廊は現在の築地回廊の4倍の高さ(2階建て家屋と同じ)だそうで今からその高さに
慣れろと言うことでしょうか。
南西から見た工事現場。


南側からこの遠景は見ることは出来ません。

大極殿は文化庁が建設しましたが敷地全体は国交省管轄です。
☆1978年に文化庁が策定した平城遺跡博物館基本構想資料がよりどころですが、整備を
推進したい県知事の運動により2008年、国営公園となり、整備の主体は文化庁から事業
予算が期待できる?国交省に移りました。
懐かしい街並みが残っています。
以下、高梁市のホームページから。
「ベンガラが語りかける、繁栄の歴史」
赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、
この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産です。
豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋の特異な点は、
個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の
棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき
先進的な思想にあります。
昭和49年には岡山県のふるさと村に認定され、昭和52年には文化庁から国の重要伝統的建造物
群保存地区の認定を受けました。
ベンガラ館。
tai_kana98