July 2022
近所の池の周りにある草花を撮ってみた。植物は詳しくは知らないけど名前を調べると
案外 面白そう。
コウホネ(河骨:泥中を這う地下茎が骨のように見えるとか)。乾燥させた地下茎は
漢方薬として使用される。・・・血の巡り改善、婦人病、打撲による腫れや痛みに用いる。。
スイレン(睡蓮)。スイレン属は世界中に分布し50種ほどある。日本にはただ1種、ヒツジグサ(未草)のみが自生する。
ハス(蓮)。ハスとスイレンを「蓮華」(れんげ)といい仏教とともに伝来し古くから使われた名です。蓮の原産地はインド。
アキノタムラソウ。名前の由来は分からない。野原に咲く普通の多年草。
ヌマトラノオ(沼虎尾)。湿地、川のほとりにある。
ヒメヤブラン(姫薮蘭)。花は2~3mmと小さい。
案外 面白そう。
コウホネ(河骨:泥中を這う地下茎が骨のように見えるとか)。乾燥させた地下茎は
漢方薬として使用される。・・・血の巡り改善、婦人病、打撲による腫れや痛みに用いる。。

スイレン(睡蓮)。スイレン属は世界中に分布し50種ほどある。日本にはただ1種、ヒツジグサ(未草)のみが自生する。

ハス(蓮)。ハスとスイレンを「蓮華」(れんげ)といい仏教とともに伝来し古くから使われた名です。蓮の原産地はインド。

アキノタムラソウ。名前の由来は分からない。野原に咲く普通の多年草。

ヌマトラノオ(沼虎尾)。湿地、川のほとりにある。

ヒメヤブラン(姫薮蘭)。花は2~3mmと小さい。

鳥枯れ。行くところがありません。木陰で休息しながら昆虫を見ています。
アオメアブ(青目虻)。名のとおり目が青い。

シオヤアブ(塩屋虻)。成虫のオスの腹端部が白く、塩を吹いているように見える。

コガネグモ(黄金蜘蛛)。
スジボソコシブトハナバチ(筋細腰太花蜂)。ナミルリモンハナバチに労働寄生される。

ハチモドキハナアブ(擬蜂花虻)。刺す真似をする虻。
ニイニイゼミ(にいにい蝉、蟪蛄)。
オオアメンボ。19-27。日本最大のアメンボ。体が大きいだけでなく、脚や触角も長く立派な姿をしている。流れの緩やかな池や河川に生息している。日本にいるアメンボは3種。オオアメンボ、アメンボ、アマミアメンボ。画像に2匹写っています。
アオメアブ(青目虻)。名のとおり目が青い。


シオヤアブ(塩屋虻)。成虫のオスの腹端部が白く、塩を吹いているように見える。


コガネグモ(黄金蜘蛛)。

スジボソコシブトハナバチ(筋細腰太花蜂)。ナミルリモンハナバチに労働寄生される。


ハチモドキハナアブ(擬蜂花虻)。刺す真似をする虻。

ニイニイゼミ(にいにい蝉、蟪蛄)。

オオアメンボ。19-27。日本最大のアメンボ。体が大きいだけでなく、脚や触角も長く立派な姿をしている。流れの緩やかな池や河川に生息している。日本にいるアメンボは3種。オオアメンボ、アメンボ、アマミアメンボ。画像に2匹写っています。

近隣で野鳥撮影を続けている知り合いの先生が発刊された詩集「南都憂愁」を
紹介します。
氏は、大学を退官され 今は閑適な生活をされていて我々と共に野鳥撮影を
楽しまれています。
☆詩集「南都憂愁」 山添孤鹿。発行所:奈良新聞。21年12月。
南都憂愁目次。(100ページほどの詩集です。)
一、順番のない行列
二、巣落ち雛
三、春日奥山

☆詩集について、22年7月1日付の「奈良新聞」に詩人・文芸評論家の「倉橋健一」氏が
詩評を投稿しています。以下、掲載します。(一部、省略も考えましたが意図が伝わらない
かと思い投稿全文を掲載。)
『南都憂愁』(山添孤鹿)をそのまま額面通りに受け取るなら、今日の奈良にあって、失われ
つつあるいにしえの都の面影を愁い悲しんで、ということにでもなるだろうか。その点では、
たしかに、和辻哲郎の『古寺巡礼』や堀辰雄の『大和路』などとは、接し方がひと味ちがう。
作者は奈良生まれの今も奈良に住みつづける人であり、おまけに二十世紀アメリカ文学
の研究者とあって、いわば内の人でありながら、たっぷり外界の空気を吸ってきた人である。
そんな人が、二十世紀後半から二十一世紀へと相渉(あいわた)って、折にふれてじかに
歩きながら、移りゆく古都にたいする、掛値なしの愛惜を注いだのが、この一冊といいうる。
あえてレクイエム詩集といってよいと思う。
冒頭の「東大寺南大門金剛力士像」を読む。この段階までは、私はこの詩集を、故郷人
であることを信じて疑わなかった。ところがこの詩、終連にきて、〈写真機を、いじりながら
焦点が合わないと / 状況把握を疎(おろそ)かに〉と、苛立っている自分自身をそのまま
覗(のぞ)かせる。こうなると、私のほうも先入観を捨てねばならなくなる。むしろ幼い時
から培った、故郷と一体化した調和が失われていくことへの、痛烈な悔恨の情がテーマ
として浮かびあがる。
たとえば「椋鳥(むくどり)の怨嗟(えんさ)」では、天平の世にあって、良田百万町歩の
開墾計画を立案するなどすぐれた能力を発揮しながら謀反の疑いをかけられ、死に追い
込まれた長屋王の館があった地域に、いつのまにか警察本部が移ってきたことにたい
する、ここを塒(ねぐら)に長く棲みついてきた椋鳥の嘆きがうたわれる。
同じように「南都夕景色」では、高層住宅建設計画や大規模商店建設によって居場所を
奪われる森青蛙が登場する。あるいは幼虫期にカマキリなどに捕食されて、逆にその体内
で成虫になるという針金状の細長いかたちをした針金虫が登場する「宮址残影」など、
こうなってくるともう南都憂愁の詩集名にひたってばかりにはいかない。変幻自在の形相
さえ帯びる。
ここまで来ると、私などはもう何いうともなく、戦前にあった日本的なものへの回帰を
呼びかけた「日本浪曼派」を主導した保田與重郎などがかさなってきた。当時国家主義が
奨励した古典の流行と結びついたために、戦後はいろいろ批判もされてきたが、そうでは
ない。
大和に軸足をおいて米づくりをベースにした祭りの生活に着目したのが、彼の思想の根底で
あった。
言葉をかえれば、自然に逆らわずに自然に寄り添うところに、日本人の心性を見たのだった。
そうでなくとも『俳句歳時記』など見て、よくもここまでまあと、その小まめさに思うこと
がある。たとえば「穴まどひ」など。晩秋になってもまだ穴に入らない蛇のこと。「冬の虫」
「冬の蝶」「冬の蜂」など同じ類(たぐい)だが、日本人の自然に対する寄り添えかたは、
とことんきめこまかくやさしい。この詩集に登場する小動物たちも、同じ位置に居る。
その一方で、私は折口信夫の『死者の書』も思った。独自な古代回帰の幻想小説で
〈したした〉〈こうこうこう〉など、オノマトペが霊界の声としてつかわれるが、「藤と三光鳥」
など読んで三光鳥のとらえ方など見ていると、いつか『死者の書』にかさなっている自分に
気づかされた。
〈ツキー ヒー ホシー ホイ ホイ ホイ / ホイガイ イガイ ソウテイ イガイ
イントク / ツキー ヒー ホシー ホイ ホラ ホイ ホイ / スウチ ウチウチ
チッ チリ ホラ ホイ ホイ〉
五連の全部。もともと三光鳥は神の使者で、三光とは月、日、星をあらわす。この鳥、すでに
絶滅に瀕(ひん)しているという。とすれば、この連もあらかしの察しはつこう。
という具合でこの一冊、ふらふら持って歩いてガイドブックにするほど、やわな詩集では
ない。
現代詩集としても、奇観本といっていいほど、ユニークで魅力的な一冊に仕上がっている。 (詩人、文芸評論家 倉橋健一)
☆他に奈良新聞に山添孤鹿氏の紹介記事があったので掲載します。
(以下、奈良新聞記事より。)
地元愛に満ちた24の詩想。
奈良市在住の山添孤鹿(やまぞえ・ころく)氏による「詩集 南都憂愁」を発刊しました。
平城宮跡や東大寺、薬師寺、法隆寺をはじめ地元・奈良の名所・旧跡・社寺などを舞台に、
椋鳥(むくどり)、鷭(ばん)、燕、長元坊(ちょうげんぼう)など多数の野鳥や動物を登場させて、
地元愛に満ちた詩想を展開しています。各種の年中行事も取り上げ、歴史的、文化的な
背景を追うだけでなく、社会派的な視点で対象に切り込んでいます。
3章24編の作品からなり、各章の扉には著者撮影の美しいカラーの風景写真が6点添え
られ、読者がまるで古都に居るような臨場感を与えてくれています。
著者は本名・山田武雄。関西学院大学名誉教授。アメリカ文学専攻の文学博士で、20世紀
詩人 ロバート・フロスト研究で知られます。
☆詩集を読んで(厚かましくも私の感想です)。
本詩集は いにしえの都(東大寺、平城京など)と現代の都を比喩され、面白く
纏められています。小生が日頃、野鳥観察で訪れる場所でもあり、読んでいくとその
風景が浮かび、現世の批判と思われる箇所や滑稽な微妙な描写も出てきて、にやりと
しながら読みました。
日頃、まじめに野鳥を撮影されながら、野鳥やその他(人)の行動に氏の思いが入り
混じっていると感じました。
紹介します。
氏は、大学を退官され 今は閑適な生活をされていて我々と共に野鳥撮影を
楽しまれています。
☆詩集「南都憂愁」 山添孤鹿。発行所:奈良新聞。21年12月。
南都憂愁目次。(100ページほどの詩集です。)
一、順番のない行列
二、巣落ち雛
三、春日奥山

☆詩集について、22年7月1日付の「奈良新聞」に詩人・文芸評論家の「倉橋健一」氏が
詩評を投稿しています。以下、掲載します。(一部、省略も考えましたが意図が伝わらない
かと思い投稿全文を掲載。)
『南都憂愁』(山添孤鹿)をそのまま額面通りに受け取るなら、今日の奈良にあって、失われ
つつあるいにしえの都の面影を愁い悲しんで、ということにでもなるだろうか。その点では、
たしかに、和辻哲郎の『古寺巡礼』や堀辰雄の『大和路』などとは、接し方がひと味ちがう。
作者は奈良生まれの今も奈良に住みつづける人であり、おまけに二十世紀アメリカ文学
の研究者とあって、いわば内の人でありながら、たっぷり外界の空気を吸ってきた人である。
そんな人が、二十世紀後半から二十一世紀へと相渉(あいわた)って、折にふれてじかに
歩きながら、移りゆく古都にたいする、掛値なしの愛惜を注いだのが、この一冊といいうる。
あえてレクイエム詩集といってよいと思う。
冒頭の「東大寺南大門金剛力士像」を読む。この段階までは、私はこの詩集を、故郷人
であることを信じて疑わなかった。ところがこの詩、終連にきて、〈写真機を、いじりながら
焦点が合わないと / 状況把握を疎(おろそ)かに〉と、苛立っている自分自身をそのまま
覗(のぞ)かせる。こうなると、私のほうも先入観を捨てねばならなくなる。むしろ幼い時
から培った、故郷と一体化した調和が失われていくことへの、痛烈な悔恨の情がテーマ
として浮かびあがる。
たとえば「椋鳥(むくどり)の怨嗟(えんさ)」では、天平の世にあって、良田百万町歩の
開墾計画を立案するなどすぐれた能力を発揮しながら謀反の疑いをかけられ、死に追い
込まれた長屋王の館があった地域に、いつのまにか警察本部が移ってきたことにたい
する、ここを塒(ねぐら)に長く棲みついてきた椋鳥の嘆きがうたわれる。
同じように「南都夕景色」では、高層住宅建設計画や大規模商店建設によって居場所を
奪われる森青蛙が登場する。あるいは幼虫期にカマキリなどに捕食されて、逆にその体内
で成虫になるという針金状の細長いかたちをした針金虫が登場する「宮址残影」など、
こうなってくるともう南都憂愁の詩集名にひたってばかりにはいかない。変幻自在の形相
さえ帯びる。
ここまで来ると、私などはもう何いうともなく、戦前にあった日本的なものへの回帰を
呼びかけた「日本浪曼派」を主導した保田與重郎などがかさなってきた。当時国家主義が
奨励した古典の流行と結びついたために、戦後はいろいろ批判もされてきたが、そうでは
ない。
大和に軸足をおいて米づくりをベースにした祭りの生活に着目したのが、彼の思想の根底で
あった。
言葉をかえれば、自然に逆らわずに自然に寄り添うところに、日本人の心性を見たのだった。
そうでなくとも『俳句歳時記』など見て、よくもここまでまあと、その小まめさに思うこと
がある。たとえば「穴まどひ」など。晩秋になってもまだ穴に入らない蛇のこと。「冬の虫」
「冬の蝶」「冬の蜂」など同じ類(たぐい)だが、日本人の自然に対する寄り添えかたは、
とことんきめこまかくやさしい。この詩集に登場する小動物たちも、同じ位置に居る。
その一方で、私は折口信夫の『死者の書』も思った。独自な古代回帰の幻想小説で
〈したした〉〈こうこうこう〉など、オノマトペが霊界の声としてつかわれるが、「藤と三光鳥」
など読んで三光鳥のとらえ方など見ていると、いつか『死者の書』にかさなっている自分に
気づかされた。
〈ツキー ヒー ホシー ホイ ホイ ホイ / ホイガイ イガイ ソウテイ イガイ
イントク / ツキー ヒー ホシー ホイ ホラ ホイ ホイ / スウチ ウチウチ
チッ チリ ホラ ホイ ホイ〉
五連の全部。もともと三光鳥は神の使者で、三光とは月、日、星をあらわす。この鳥、すでに
絶滅に瀕(ひん)しているという。とすれば、この連もあらかしの察しはつこう。
という具合でこの一冊、ふらふら持って歩いてガイドブックにするほど、やわな詩集では
ない。
現代詩集としても、奇観本といっていいほど、ユニークで魅力的な一冊に仕上がっている。 (詩人、文芸評論家 倉橋健一)
☆他に奈良新聞に山添孤鹿氏の紹介記事があったので掲載します。
(以下、奈良新聞記事より。)
地元愛に満ちた24の詩想。
奈良市在住の山添孤鹿(やまぞえ・ころく)氏による「詩集 南都憂愁」を発刊しました。
平城宮跡や東大寺、薬師寺、法隆寺をはじめ地元・奈良の名所・旧跡・社寺などを舞台に、
椋鳥(むくどり)、鷭(ばん)、燕、長元坊(ちょうげんぼう)など多数の野鳥や動物を登場させて、
地元愛に満ちた詩想を展開しています。各種の年中行事も取り上げ、歴史的、文化的な
背景を追うだけでなく、社会派的な視点で対象に切り込んでいます。
3章24編の作品からなり、各章の扉には著者撮影の美しいカラーの風景写真が6点添え
られ、読者がまるで古都に居るような臨場感を与えてくれています。
著者は本名・山田武雄。関西学院大学名誉教授。アメリカ文学専攻の文学博士で、20世紀
詩人 ロバート・フロスト研究で知られます。
☆詩集を読んで(厚かましくも私の感想です)。
本詩集は いにしえの都(東大寺、平城京など)と現代の都を比喩され、面白く
纏められています。小生が日頃、野鳥観察で訪れる場所でもあり、読んでいくとその
風景が浮かび、現世の批判と思われる箇所や滑稽な微妙な描写も出てきて、にやりと
しながら読みました。
日頃、まじめに野鳥を撮影されながら、野鳥やその他(人)の行動に氏の思いが入り
混じっていると感じました。
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