June 2016
少し前の動画です。見られた方も多いと思いますが転載します。
優しいドライバーのお蔭で無事、横断できました。
カルガモ(軽鴨、Eastern Spot-billed Duck)L:61
YouTubeより。@日テレNEWS '16.6.7
優しいドライバーのお蔭で無事、横断できました。
カルガモ(軽鴨、Eastern Spot-billed Duck)L:61
YouTubeより。@日テレNEWS '16.6.7
国内で見たい鳥です。2008年4月、与那国で記録あり。
6月6日付け、AFPニュースより拝借。
他国も同じ・・・動画の最後の光景はどこかで見たような

・・・。
「台湾・台北の公園で13日、生まれたばかりのひな鳥に餌を与える雄のクロエリヒタキ
のほほ笑ましい姿が見られた。
雄のクロエリヒタキは背面の明るい青と腹部の白色が特徴の体長16㎝ほどの鳥。
首筋や喉元に黒ぶち模様がある。メスはもっとくすんだ色で黒い斑点はない。」
クロエリヒタキ(黒襟鶲、Black naped Monarch) L:15。@You Tube。
動画が削除されました。
6月6日付け、AFPニュースより拝借。
他国も同じ・・・動画の最後の光景はどこかで見たような



「台湾・台北の公園で13日、生まれたばかりのひな鳥に餌を与える雄のクロエリヒタキ
のほほ笑ましい姿が見られた。
雄のクロエリヒタキは背面の明るい青と腹部の白色が特徴の体長16㎝ほどの鳥。
首筋や喉元に黒ぶち模様がある。メスはもっとくすんだ色で黒い斑点はない。」
クロエリヒタキ(黒襟鶲、Black naped Monarch) L:15。@You Tube。
動画が削除されました。
昨日掲載の続きです。
御誕生寺参拝を終えたら、丁度、昼時で食事をとりに武生駅前へ寄りました。
旧武生市は現在、越前市に市名が変わりました。北が越前町、南が南越前町で
紛らわしく、武生市のままで良かったのではと市名変更について住民の反対意見が
多かったのに越前市に決まったそうです。
市内に立派な総社大神宮がありました。総社は国府所在地に置かれた神社です。
当時、武生の町は繁栄したのでしょう。


「いわさきちひろ」が生まれた家です。
ちひろの母、文江は奈良女子高等学校を卒業し、開設されたばかりの武生実科
高等女学校の教師として武生に赴任し、ちひろはそこで生まれたそうです。

越前へ来たらやはり蕎麦でしょう。美味しい蕎麦をいただきました。於:御清水庵。

御誕生寺参拝を終えたら、丁度、昼時で食事をとりに武生駅前へ寄りました。
旧武生市は現在、越前市に市名が変わりました。北が越前町、南が南越前町で
紛らわしく、武生市のままで良かったのではと市名変更について住民の反対意見が
多かったのに越前市に決まったそうです。
市内に立派な総社大神宮がありました。総社は国府所在地に置かれた神社です。
当時、武生の町は繁栄したのでしょう。


「いわさきちひろ」が生まれた家です。
ちひろの母、文江は奈良女子高等学校を卒業し、開設されたばかりの武生実科
高等女学校の教師として武生に赴任し、ちひろはそこで生まれたそうです。

越前へ来たらやはり蕎麦でしょう。美味しい蕎麦をいただきました。於:御清水庵。

義姉に誘われ越前庄田の御誕生寺(猫寺)まで遠出しました。
参拝のきっかけは住職の著書「あたりまえでいい」を読んでどんなお寺か見たいということからです。
この寺は数年前に建てられ落慶法要が終わったばかりの新しいお寺で檀家は1軒もなく全て寄進によって創建され、約30名のお坊さん、猫数十匹がいる静かなお寺です。
短期間に立派なお寺が出来たのは禅師の徳によるものでしょう。
本堂建設中に捨てられた猫を保護したら、いつの間にか捨て猫が増え、猫寺と呼ばれるようにもなったようで今では猫好きの人が遠方から来られています。
2002年小堂、2009年に本堂が出来ました。



全て寄進によるものです。

猫いっぱいです。




☆誕生寺 板橋興宗((こうしゅう)住職の略歴
1927年、宮城県産まれ。海軍兵学校、東北大学を出て1953年禅門に入り修行。
福井武生市・瑞洞院住職、金沢市・大乗寺住職などを歴任。
1998年、横浜市・大本山總持寺貫首、曹洞宗管長に就任。
2002年、貫首、管長の公職を辞し輪島市・總持寺祖院住職を経て現、御誕生寺住職。
☆住職は20年ほど前に癌を患い今は肋骨に転移していて3週間に一度点滴を打っている
そうです。
☆禅師の今は「ありのままに生きる」ことで、ありのままに何もしないで暮らすのではなく、
何もない土地に新しく寺を建て、 病気の治療をしながら、その日のなすべき仕事を
片付ける。そういうありのままの生き方を実践されています。
著書:
・『良寛さんと道元禅師』
・『「心豊かに」生きる知恵
・『人生は河の流れのごとく』
・『興宗和尚の人世問答』
・『タンポポや人に踏まれて笑い顔』
・『むだを堂々とやる!-禅の極意』
・『〈いのち〉をほほ笑む』
・『混沌に息づく』
・『坐りませんか。』
・『猫は悩まない』
・『いのち〉の呼吸』
・『ありがとさん』
・『息身佛 そくしんぶつ ただ、息をする。ただ、生きる。』
・『柔らかな心で』
・『猫のように生きる』
・『足の裏で歩む - 板橋興宗米寿記念随想』
・『あたりまえでいい』
MJ609。
参拝のきっかけは住職の著書「あたりまえでいい」を読んでどんなお寺か見たいということからです。
この寺は数年前に建てられ落慶法要が終わったばかりの新しいお寺で檀家は1軒もなく全て寄進によって創建され、約30名のお坊さん、猫数十匹がいる静かなお寺です。
短期間に立派なお寺が出来たのは禅師の徳によるものでしょう。
本堂建設中に捨てられた猫を保護したら、いつの間にか捨て猫が増え、猫寺と呼ばれるようにもなったようで今では猫好きの人が遠方から来られています。
2002年小堂、2009年に本堂が出来ました。



全て寄進によるものです。

猫いっぱいです。




☆誕生寺 板橋興宗((こうしゅう)住職の略歴
1927年、宮城県産まれ。海軍兵学校、東北大学を出て1953年禅門に入り修行。
福井武生市・瑞洞院住職、金沢市・大乗寺住職などを歴任。
1998年、横浜市・大本山總持寺貫首、曹洞宗管長に就任。
2002年、貫首、管長の公職を辞し輪島市・總持寺祖院住職を経て現、御誕生寺住職。
☆住職は20年ほど前に癌を患い今は肋骨に転移していて3週間に一度点滴を打っている
そうです。
☆禅師の今は「ありのままに生きる」ことで、ありのままに何もしないで暮らすのではなく、
何もない土地に新しく寺を建て、 病気の治療をしながら、その日のなすべき仕事を
片付ける。そういうありのままの生き方を実践されています。
著書:
・『良寛さんと道元禅師』
・『「心豊かに」生きる知恵
・『人生は河の流れのごとく』
・『興宗和尚の人世問答』
・『タンポポや人に踏まれて笑い顔』
・『むだを堂々とやる!-禅の極意』
・『〈いのち〉をほほ笑む』
・『混沌に息づく』
・『坐りませんか。』
・『猫は悩まない』
・『いのち〉の呼吸』
・『ありがとさん』
・『息身佛 そくしんぶつ ただ、息をする。ただ、生きる。』
・『柔らかな心で』
・『猫のように生きる』
・『足の裏で歩む - 板橋興宗米寿記念随想』
・『あたりまえでいい』
MJ609。
昨日、矢車草の実を食べに来るカワラヒワを撮りに行きましたが、残念なことに今年は
早々と矢車草は刈られていました。
仕方なくブラブラしていると偶然、常光寺へ行く友人に会い、ご一緒させていただきました。
この日は丁度、年に一度の歓喜天特別開扉の日でした。
常光寺は延宝元年(1673年)に奈良、押熊に建てられた小さなお寺で、明治時代の廃仏毀釈の折りに廃寺となり、多くの建造物や寺宝が散逸してしまったそうです。(元は宝山寺奥の院で真言律宗のお寺です。)
☆国宝・叡尊興正菩薩直筆「隋求法」1巻⇒生駒・宝山寺寺宝、梵鐘⇒法華寺鐘楼、古仏書⇒薬師寺へ。

本尊「大聖不動明王三尊像」宝山湛海作。

「歓喜双身天尊像及厨子」、「鬼子母神像」宝山湛海作。
特別開扉の歓喜天像は残念ながら写真を撮ることは出来ませんが頭部が「象(ガネーシャ)」、男性神と女性神が抱き合った姿の仏様で素朴な美しさがあります。

当寺の歓喜双身天尊像とは違いますが参考にしてください。

弘法大師像。

早々と矢車草は刈られていました。
仕方なくブラブラしていると偶然、常光寺へ行く友人に会い、ご一緒させていただきました。
この日は丁度、年に一度の歓喜天特別開扉の日でした。
常光寺は延宝元年(1673年)に奈良、押熊に建てられた小さなお寺で、明治時代の廃仏毀釈の折りに廃寺となり、多くの建造物や寺宝が散逸してしまったそうです。(元は宝山寺奥の院で真言律宗のお寺です。)
☆国宝・叡尊興正菩薩直筆「隋求法」1巻⇒生駒・宝山寺寺宝、梵鐘⇒法華寺鐘楼、古仏書⇒薬師寺へ。

本尊「大聖不動明王三尊像」宝山湛海作。

「歓喜双身天尊像及厨子」、「鬼子母神像」宝山湛海作。
特別開扉の歓喜天像は残念ながら写真を撮ることは出来ませんが頭部が「象(ガネーシャ)」、男性神と女性神が抱き合った姿の仏様で素朴な美しさがあります。

当寺の歓喜双身天尊像とは違いますが参考にしてください。

弘法大師像。

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